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私なりの生き方
趣味
このPERSONAL LIFEのセクションは今、ご覧になっている私の生き方のサブセクションと、趣味のサブセクションに分かれています  

ファミリー
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9ヶ月の頃両親と 
両親と弟という家族構成です。両親は、父親の定年退職に伴い故郷の九州は宮崎市に在住しています。弟は数年前に結婚。私だけが独身です。父は在職中は幹部自衛官(陸上)として防衛庁に勤務。弟も現職の自衛官として働いており一家揃って防衛ファミリーという感じです。父は読書好き、映画好き。母は料理が趣味の典型的な専業主婦。弟は、幼い頃はプラモデルづくりが趣味のようでしたが、最近はそれが転じてミニチュアハウスに凝っているようです。
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これまでの人生の軌跡
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1歳3ヶ月のころ 
父の仕事の関係で北海道で生まれた道産子です。3月14日に生まれた時は猛吹雪だったそうで、そこで雪枝という名前の雪が出てきました。枝というのは、工藤家の祖母の名が美枝だったため、そこから一文字継承しました。また「ゆきえ」という音には別の意味も込められていて、父が昭和38年に読んだ、杉本苑子氏の御本「孤愁の岸」(直木賞受賞)の主人公で薩摩藩武士の平田靱負(ゆきえ)の生き方に感動し、漢字は異なるものの同じ音の名前をつけたかった気持ちもあったようです。

もともと、先祖が熊本細川藩の武士で、そこから宮崎にやってきたという経緯もあり、工藤家の家風には(特に亡くなった祖父母には)武士道的考え方と、公のために貢献するべきだという発想が根強く残っていました。特に私の父は何かにつけ、社会に対しての義務、すなわち権利には義務が伴うということを教える人で、工藤家では故J・Fケネディ大統領の就任演説「国家が自分のために何をしてくれるかではなく、自分が国家のために何ができるのかを問え」というのが家訓のようになっていました。自分自身の人生観にもそうした要素が入り込んでいるのを、近年になって意識するようになりました。


さて子供時代に遡ると、私は父の仕事による度重なる転勤と「単身赴任はしない」という家族の方針の結果、数多くの転校を余儀なくされ、たくさんの学校に通いました(小学校は4つ)。自分自身、未だに幼なじみや故郷といった概念を持ち得ないので、ずっとひとつの場所で育った人々にうらやましさを感じたりもします。

小学校時代の私は、大変神経質、引っ込み思案、おとなしい子供で社会性がなく、ほとんど家の中で本を読んだり絵を描いたりして過ごすような子供でした。このままではいけないと思い立ち、少しづつ性格を改めてきました。食べ物の好き嫌いも多かったのですが、これも今では克服しております。

そのような「克己」の精神が、私の人生の前半を貫いています。毎日分刻みの計画をたてては、ジョギングをしたり、英語の勉強をしたりして、学校から帰ってきても自分を成長させなければという強迫観念から勉強したり、運動したりというプログラムを考えて実行していたという実にかわいげのない子供でした。そこまで自分を駆り立ててきた背景として、両親とも「放任主義」で、自分の人生は自分でしか責任がとれないのだからという理由で、人生の決断を一切まかされてきたことがあります。子供心にも、このような両親の元では、自分がしっかりしなければ、とんでもない人間になってしまうという危機感(?)をひしひしと感じていたのでしょう。

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大学卒業時 
そんな人生観が変わって「機械的人間」から、「情緒的人間」になれたのはひとえに高校時代に一年間留学したアメリカでの温かい人間関係のお陰だと思います。これは高校3年生の時から一年、現地の家庭にホームステイして、現地の学校に通うというAFSの留学プログラム試験に受かって、渡米したものです。大変貴重な経験でしたが、特にアメリカ人を相手に、日本のことについてスピーチをする機会がとても印象に残っています。「真珠湾攻撃のことを考えたら、原爆を落として当然」という発想のアメリカ人が多い中で、日本の立場を真摯に訴えると、涙を流して聞いてくださった方々などもいました。そんな体験の記憶が、もしかすると私の今の仕事の原点となっているのかもしれません。

アメリカから帰って随分とカルチャーショックもあったのですが、大学受験を半年に控えていたので感傷に浸っている暇はありませんでした。急遽また勉強体制にはいり、東大法学部に現役合格、日本の高校も卒業しました。それまで塾にもどこにもいっていなかったので、受験戦争を意識することなく、本格的に勉強したのは帰国後半年間ぐらいという感じでした。東大受験など意識したこともない、のほほんとした日々を過ごしていたわけですが、やはり最終的に、当時自衛隊不要論、違憲論が根強かった日本で、自分の父親の職業と憲法との関係を一度突き詰めたいと思い、直前に、法学部受験を決めました。

大学時代はESSと法律相談所に所属し、ESSではディベートやスピーチコンテストの全国大会で様々な賞をいただいたり、外務省、産経新聞、ダイヤモンド出版社の論文コンテストで賞をいただいて海外研修に行ったりしたことが懐かしく思い出されます。


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25歳、ロンドン留学時 
学生までは、転校ばかりでしたが、就職してからも今のジャーナリストという自分の人生を捧げようと思う職業に出会うまで、2回転職しています。最初はビジネスの世界に入ったのですが、どうもお金のために仕事をするという感覚に馴染めない気持ちのまま英国に留学。その時に、自分の魂が揺さぶられるほどの体験をしたのです。それは、端的に言えば、いかに日本という国の情報が間違って伝えられ理解されているかという現実を知った(アメリカでもそうでしたが、その時はまだ若すぎて充分に体験が昇華されなかったようです)ことです。その現実に直面して自分自身で微力ながら、日本の情報を海外に伝える架け橋になりたいと思うようになりました。そこでジャーナリズムの世界に入ってくる訳ですが、仕事を通じて、マスメディアの持つ問題点、また日本国内の問題点も見えてきて、日本のことを世界に伝えるだけでなく日本の中でも正しい情報が伝えられ、意識が醸成されることも不可欠だと思うようになりました。

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今の生活スタイル
photo私はジャーナリストとして、どこの会社にも属さないことが自分の立場として中立を守り、また言いたいことも言えるのだと強く意識しています。これまでも、マスメディアの中途採用に受かったこともありますが、結局断ってしまいました。つまりフリーランスとして仕事をしている訳です。したがって生活スタイルも仕事のスタイルも自分自身で決められるのですが、何かにつけ怠惰な方向に流れてしまう人間の性とどう闘いつつ、商業主義に流されることなく、クオリティーの高い仕事をしていくかということを重要視しています。

執筆の仕事などは自宅で行うことがほとんどなので、自分の仕事のオンとオフをいかに切り替えるかというのが専らの課題です。月曜から金曜までは仕事、土日はオフとなれば理想的なのですが、往々にして、頻繁の徹夜、土日の地方講演などが入り、ある時はものすごく朝早く起きるかと思えば、締め切り間際に徹夜で原稿を書いたりと、いたって不規則な毎日を過ごしています。

何とかそれを打開しつつ、微々たる力でありながらも何か社会、そして国のために価値のあるような仕事をしていきたいと思っています。

「命もいらず、名もいらず官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、困難を共にして国家の大業は成し得られぬ也」とは西郷隆盛の言葉です。私自身、国家の大業を成し得たいというのは不遜すぎますが、この西郷隆盛の言葉に共鳴するところがあるので、フリーとしてあえて「名も地位もお金も」得難い立場で国のためにという使命感を感じ続けていきたいのです。

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今後の目標

人々の魂、心の奥に訴えることができるような取材とその表現(執筆、テレビなどを通して)を行っていきたいと思います。同時に、日本という国に少しでも、貢献できるような仕事をしていきたい、日本のことをもっと幅広く世界にもアピールしたいと思います。

座右の銘:THE SKY IS THE LIMIT

photoこれは「限界は空高くに」という意味の英語ですが、この言葉の意味するところは空には限界はないのだから、自分の可能性の出来る限りのレベルにおいて頑張って努力すべきだということです。

我々人間の潜在的能力は非常に高いものがあると思いますが、果たしてどれくらいの人々がそれをフルに活用して生きているでしょうか。往々にして、何かをやる前に「どうぜこの仕事は実現不可能だ」とか「これをやるには、とほうもない年月が必要だ」などと、何かを始める前から限界を勝手に設定してしまって何もやらないというのが、人間の陥る罠のように思います。

私自身、疲れたと感じたり、最近努力が足り無いなあと思うとき、よく自分に言い聞かせるのが、この言葉なのです。

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