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2003年11月22日 アメリカ講演ドキュメント(その1) 先10月ほぼ一ヶ月近くにわたって日米協会に招かれ、アメリカの研究所、大学、大学院そして一般の人々が集まる講演会で英語で講演やシンポジウムを行ってきました。東はワシントンDCから西はハワイまで様々な場所をカバーしたのですが、どの場所でも観光や遊びの時間は一切ないようなハードスケジュールでした。 |
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(序章)同期の桜と藤岡弘さん 10月11日、靖国神社内で演じられた特攻隊をテーマにした物語「同期の桜」の演劇を観にいく。アメリカ出発前で忙しかったものの、やはり米国にのりこむ前には大和魂を心に刻んでおこうと決意し、芝居上演の前には靖国神社参拝も行う。ご招待をされた席が、ちょうど以前仕事でもご一緒した俳優、藤岡弘さんの隣となり、劇がはねた後、マネージャーの方々も交えて食事をご一緒する。 私の明日からのアメリカ講演の話をすると「ぜひ、それはもう日本のサムライの心をしっかりと伝えてきてくださいよ!」と念を押され、激励される。藤岡さん自身、武道の段を合計で20段近くもお持ちである現代のサムライ。初代仮面ライダーの役者として日本で活躍されたあと、単身アメリカにのりこみ、アメリカで俳優業にチャレンジされた方でもある。まるで、運命に仕組まれたような、久々の藤岡さんとの出会いに、「これ以上の激励はあろうか」と思わず武者震いする私。
最初の講演場所はワシントンDCのCSIS(国際戦略研究所)。「特攻へのレクイエム」(拙著)を題材として、過去そして変化しつつある現代日本の世相を考えるというシンポジウム。私がメインパネリストという形で、対抗馬としてワシントン大学のオロス教授が登場。このシンポジウムには産経新聞ワシントン支局長の古森氏もこられ、この講演の様子がのちほど産経新聞に掲載されることになる。 私が主張したのは、特攻隊とイスラム原理主義者のテロリストを同列視するアメリカのマスメディアに対する問題提起と、実際の特攻隊の姿。加えて現代日本の安全保障問題や憲法問題など。対して、オロス氏は「ドイツは戦後賠償を行っているが日本はドイツに較べて不十分」と事実無根のことをいったりするので、間違いをしっかり指摘する。(のちほどの古森氏の記事では「工藤氏は一時間ほどの質疑応答でも流ちょうな英語で日本の戦後の左翼偏向を説明し、最近の日本国民のアイデンティティや防衛意識の高まりは単なる正常化への自然な流れだと強調した。こうした発言に米国側の参加者からは反対も批判も表明されなかった」と書かれています)。 第一回目の講演だったので、多少緊張したものの、多くの質問も出て無事成功裏に終わり一安心。聴衆の中には、仕事や大使館の外交官としてワシントンに赴任している大学時代の旧友も来てくれて、通常はなかなか講演では使わない英語で喋りながら、彼らの存在に多いに勇気づけられる。 自分自身最もプレッシャーのかかっていた最初の講演が成功裏に終わり、アメリカでのこれからの日程に自信が出てくる。 ワシントンは快晴だったものの、ほとんどの時間をホテルの部屋で講演準備のために過ごしたのが少々残念。前から訪れたかったスパイ博物館もちょうど中に入ったとたん火事騒動に巻き込まれ断念。ただ、念願のペンタゴン訪問は果たす。 |
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第2章 インディアナポリス(10月15,16日)
わずか二日の間に4つの講演(含むインディアナ大学での安全保障の授業)を行うという超ハードスケジュール。朝5時起きでワシントンを発ち、ランチョン、ハドソン研究所、ディナーイベントと息つく暇もなく講演を行う。インディアナはワシントンと違って、古き良き中西部の街という雰囲気。 ディナーでのスピーチでは、日本の戦後社会について主に安全保障の観点から講演を行う。アメリカに来て日本と多いに違うと思うのは、聴衆の方々から来る質問の数。日本では講演は主に90分が単位だが、こちらでは30―40分の基調講演を行って、その後延々とQ&Aが続くという状況。私としては、このような聴衆とのやりとりが楽しくてやりがいを感じるところである。 一般の聴衆を相手にした講演では100人のうち、日本の憲法9条について知っている人を訪ねると僅か10人ほどが手を挙げるだけだったりして、実に日本の真の姿が知られていないかということを実感する。
一日に3つの講演を行うという、これまでやったことのないハードスケジュールを果たしてこなせるかどうか心配だったが、インディアナでの講演も成功裏に終わり、だんだんと自分がハイになっていることに気づく。 インディアナ大学では学生の安全保障の授業を一こま、教授に代わって担当するという「名誉ある」講演。やはり若い学生達は日本への関心も高く、年齢層が高い聴衆に較べてより現実主義だと感じる。質問も日本の戦時中の話などよりも、イラク、北朝鮮に関する日本の対応という観点に集中している。 当初、教授の替わりに授業を担当することを依頼された時には「果たして自分にできるのだろうか」という不安もあったが、教授(元米国陸軍のオフィサー)が学生達に日本に関する知識を植え付けてくださっていたこともあり、とても充実した実に楽しい授業となる。「我ながらなかなかやるじゃない」と思いつつますますハイテンションになる。(このようなハイテンション状態が後にツケとなってやってくるのです) |
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第3章 シカゴ(10月17,18,19日)
ワシントン、インディアナ、シカゴと移動するたびに、アメリカの空港当局に腹が立つことばかり。 テロ対策のため、原則としてスーツケースを施錠せずに預けることになっているらしいのだが、特に事前に予告もなければチェックインカウンターでも何も言われないので施錠したまま預けていたところ、何と私のスーツケース(すべてのスーツケースという訳ではない)の鍵が2回も空港当局によって強引に壊され、ご丁寧にも壊された鍵が説明書と一緒にスーツケースの中にきちんと入っている。
シカゴではビジネスマンの重役を対象とした朝食会での講演と、名門のノースウェスタン大学にて講演を行う。どちらも成功裏に終わり、ますますハイになる私。特にノースウェスタンでは課外授業的な形で講演が行われたのだが、学生動員数が歴代2位(ちなみに1位はCIAの人々が来校した時)で、実に多くの興味深い質問が出たので、応える私のほうも充実した時を過ごすことができた。 シカゴで他に印象に残ったのは、日本語が教えられている黒人の小学校を訪れたこと。貧しい地区に住む彼らに夢と希望と、礼儀正しさをも教えようと、二人の日本人女性の先生が頑張っておられる。私もあるときは先生になったり、また生徒になったりして日本語の授業に参加する。子供達の一生懸命な姿が実にかわいらしくて、心が溶けそうになる。同時にお二人の日本人の先生方のご尽力には心から敬服した。 (こうして、私のアメリカ講演旅行は順調に進み、充実感と共に益々ハイになる私でしたが、次の目的地サンフランシスコで、とんでもないハプニングが待ちかまえていたのです。) |
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